妻が命をかけて産んでくれた。
4人目の愛しい我が子。みっちゃん。
みっちゃんは、生後2週間。ママとつかず離れず。
ずっと一緒でした。
本当はもっと遅く産まれる予定だったのです。
もし予定日で産まれていたらどうなっていたのでしょう?
2週間。このかけがえのない2週間は、
家族6人。1つの部屋で眠りについて本当に幸せな時間でした。
1人で4人を育てられるのか
残された親である私。しゅん。男。
子どもが8歳、6歳、4歳、0歳。(執筆時)
子どもの保育園、学校の準備、朝ご飯、送迎、フルタイム仕事、送迎、買い物、洗濯、料理、お風呂、洗濯干し・・・etc
詰みました。
無理でした。
実際は仕事復帰する1か月は休みをもらっていたので、少しの間1人で4人をみていました。
数日で、不眠とノイローゼとストレスが一気に押し寄せてきました。
4歳はっちゃんの赤ちゃん返りと、0歳みっちゃんのリアル赤ちゃんの板挟みで身動きがとれなくなります。
夜中の0時過ぎに放心状態のまま、妻の両親にSOSの電話をしました。
車に乗り込み、実家へ預けに行きましたが、無事着けたのが不思議なくらいボーっとしていたと思います。
0歳の我が子と離れて暮らす
家族会議の末、ある程度大きくなるまで、
みっちゃんは妻の両親が面倒をみてくれる事になりました。
初めは、家族一緒にいれない悲しさと、どうしようもない無念さがありました。
しかし、妻から受け取っとバトンは、しっかりと握りしめゴールに向かわなければなりません。
ゴールとは、子ども達が元気に育つ事。
その為には、1人で意固地にならない。
周囲に支えてもらいながら、生きていく。
どんなに惨めな姿をさらそうが気にしない。受けた恩は精一杯返す。
そうやって生きていく事に決めたのです。
皆で育てる4人目の子
現在、みっちゃんは妻の両親がみてくれています。
天真爛漫に育ってくれており、妻の両親も生きがいに感じてくれています。
自分一人ではきっと乳児院といった施設に預けていたとおもいます。
そうすると、月に1回ですら会いに行けなかったと思います。
心から感謝しかないです。
兄弟姉妹4人を一緒に過ごさせてあげられない不甲斐なさは感じます。
ですが、自分がダメになったら子ども達全員を育てる事が出来ません。
頼れるところは頼ろうと心に決めました。
あなたのパパですよ。
みっちゃんは、すっかり妻の両親に懐いています。
みっちゃんの中では、パパ、ママは、おじいちゃん、おばあちゃん。
私が時々見に行くと、キャキャッ!と笑いますが、時々来るおじさんみたいな感じです。
おばあちゃんママでないと直ぐにぐずります。
この子が保育園に行けるようになってから、引き取るタイミングが難しいなぁ。
そんなことを思いながら、会いに行きます。
「こんにちは、みっちゃん!あなたのパパですよ~!」