妻が天国に旅立ってから、毎日神棚に手を合わせます。
2礼2拍手1礼。
「おはよう。今日も元気だよ。ありがとう。」
神棚の下にも棚があり、そこに妻の遺骨を安置しています。
妻と出会い、結婚してこれまで、妻を笑わせたり、妻のご機嫌を伺ったり、妻が怒ると仕事も手につかなくなるようになったり。
妻が笑うと最高に幸せを感じました。
世の中何故、宗教上の対立が起こるのか。
私は宗教を持っていません。
神棚も、行う所作も、もともと妻の家庭がそういった所だからです。
なので、否定もしませんし。妻が人生でやってきた事なので、喜んでやっています。
私の宗教は妻ですから。
何で宗教間で争いが起こるの?
世の中、幸せになりたいという意思は皆同じなのに、宗教が違うだけで、
「あんなのは嘘だ。私の信仰こそが本当だ。」
と、他の宗教を否定したり、争いが起こる事があります。何ででしょうか。
それは、自分たちが信じている神様に救われたり感謝しているから、それを否定するような教えであると腹が立つのでしょう。
元々は、救われたい。幸せになりたい。という思いは同じで、それが地域ごとに
「そうだよね。そうだよね。」
と同士が集まり体現化されたのが各地域での神様であり、仏様。
その信じた神様や仏様は、各地域によって少しずつ集団の価値観を統一する為変化したのでしょう。
微妙にニュアンスが違ったり相違点が生まれてくる。新しい信仰が生まれる。
勿論、自分たちが創り上げた神様が一番なので、「そこはこっちの方が良いよ。」「いやいや。その考えは間違っているよ。」とお互いを否定し合った結果、対立が起こり、宗教間でぎくしゃくしてしまうのだと思います。
根っこの思いは一緒
対立が怒らないようにはどうすればいいのか?
大切なのは、根本の思いは一緒であると理解し合う事。
「まごごろ」だと思います。
何故なら、皆幸せになりたいだけで、誰かをけなしたい訳じゃないから。
我が子で例えると
「オタクの子、変な顔してるわね。」
「・・・あなたの子だって頭悪そうね。」
と、嫌味を言われたら、誰だって次は否定したくなります。
愛する我が子を馬鹿にされたのだから。
「オタクの子、笑顔が素敵ね。」
「ありがとう。あなたの子も元気いっぱいで私も元気をもらえるわ。」
とお互い尊重しあえるはずです。
宗教も、根っこの優しい気持ちは一緒なので、「皆違って、皆いい。」です。
相手を思い合う心。お互いが幸せになって欲しいという思い合い。
相手を否定するのではなく、「そういう考え方もあるよね。」と受け入れる事ですね。
私の信仰は妻です
実際に神様という存在は1人なのか複数いるのかも分かりません。
信じている気持ちは同じなので、そういう意味では皆、同じ神様や仏様を信仰しているのかもしれませんね。
ちなみに、私の信仰している神様は「妻」です。
生前から妻のいう事は絶対だったので、地球がいくら丸くとも、妻が「四角い」と言えば四角です。
これで夫婦円満です。
かの有名な版画家「棟方志功」の妻の話ですが、
志功さんが妻の行動に腹を立てた時
棟方志功に「お前は、宗教というものを持っていないのか?」と詰め寄られたそうです。
その時、妻はこう答えました。
「私の宗教は棟方志功です。」
貴方を信じ、貴方にずっとついて行きます。
おぉ、同じだ。
それほどまでに旦那さんを信じてくれているなんて、棟方志功も幸せです。
自分が信仰したい宗教は、自分で決めて良いのです。
だって、それに幸せを感じるのは人それぞれだから。
だから、相手の信仰を否定してはいけない。
相手の幸せを願って。
私の信仰は妻です。
そんなことを思いながら今日も妻に手を合わせます。
2礼2拍手1礼。
「ただいま。今日も素敵な1日だったね。愛してるよ。」